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2004/11/06 (Sat)
■こんなチェーンメールが回ってきました。 元は英文で内容は60年代より前にアメリカで幼年時代を過ごした人に向けられた物ですが、日本人としても同じ年代で同感できる部分もあり、面白かったので翻訳してみました。 内容は今日の過剰なまでの「安全」「健康」管理下で過保護に育った子供達より、こうした危険にさらされて育った年代の方が結果的に強く育っているということ。 安全や健康といっても、子供の心配というより裁判で告訴されないための逃げ道ってのも多いですけどね。
いま35歳以上の人はもうとっくに死んでいる筈らしい 最近の子供のための安全基準だの健康管理だのってのを聞いていると、どうも40年代から60年代生まれの僕達は危険すぎる環境で育ったことになるからね
そもそも僕らのベビーベッドときたら、鉛のたっぷり入ったテカテカの派手な塗装だったし 薬の入ったビンやドア、引き出しなんかも子供が開けられないような仕組みはなかった 初めて自転車にのったときからヘルメットなんかしてなかったし、大きくなったらヒッチハイクだってしたしね 子供の時だって車に乗るときはシートベルトなんかしなかったし、車にはもちろんエアバッグなんかついてなかった 天気のいい日にトラックの荷台にのせてもらうのはとっておきのごほうびだった 水だってペットボトルなんかじゃなくて、庭のホースから飲んでたよね、信じられる? カップケーキだのバターたっぷりのパン、砂糖の入った炭酸ジュースなんか大好でたくさん飲んだり食べたりしたけど、いっつも外で走り回ってたからだれも肥満になるヤツなんかいなかった 一本のジュースを仲間で回し飲みもしたけど、それで病気がうつって死んだやつなんかいなかった ガラクタを集めて何時間もかけてゴーカートを作って坂道の上から走らせたりしたよね。 ブレーキをつけていなかったことに気がつくのはいつも発車してからなんだ なんどか茂みに突っ込んで、ようやくどうすればよいのか学ぶんだ 朝早く家をでたら、街灯がつくまで一日中外で遊んでいられた 僕らを呼び戻す携帯電話なんかなかったしね 信じられる? 携帯電話の無い世界! プレイステーションも、X-Boxはもとより、そもそもテレビゲームなんてものは存在しかなった。 99チャンネルもあるケーブルテレビもなけりゃ、レンタルビデオ、サラウンドシステムも、パソコンやインターネット、オンラインチャットなんて無い世界
でも、僕らには友達がいた
家から飛び出せば、一緒に遊ぶ友達はすぐに見つかった ドッジボールで遊んでいて、ボールがぶつかってマジで痛い思いをしたもんだ 木のぼりして落ちて、骨や歯をおったりするアクシデントに見舞われても、裁判沙汰になんかならなかった だってアクシデントだもん 誰も責められないよね? アクシデントだもん 友達と殴り合いのケンカして、あざをつくったりしてもなんとかそれを乗り越えることを学んだ テニスボールと棒切れさえあればいろんなゲームを思いついて遊んだもんだ 目が潰れるぞって親におどされたけど、やっぱりミミズを食って見たもんだ、で、ミミズは永久に体の中で生きているってのもウソだって身を持って確認したよね 自転車や歩きで友達の家まで行って、ドアをノックしたり、あるいは勝手に中に入って、友達といつまでも語り合っていた リトルリーグには入団試験があって誰でも入れるわけではなかった 入れなかったヤツはくやしさを乗り越えることを覚えなければならなかった クラスメートの中には、勉強ができなくてダブってるやつもいた。 恐ろしいね 試験の結果が「調整される」なんてことはあり得なかった
自分の行動は自分の責任 どうすればどういう結果になるかはちゃんとわかっていた 警察に捕まった子供に親が保釈金を出すなんで想像もつかない時代だった 親に警察に連れて行くぞって脅されたもんだ 想像できるかい?
こういう時代に子供時代を過ごした僕らには自然と、危険と向き合う能力、問題を解決する能力、画期的な発明をする能力が身についた 過去50年の発明と革新の歴史を振り返ってごらん 僕らには自由があった、失敗も、成功も、責任も そしてそれらとどう向き合うかを学んだ
おめでとう 君もその時代の一人だ
幸運にもこうした時代に生まれ育った他の人にも是非この文面を回して欲しい 「子供のため」の大義名分のもと、弁護士や政府に過保護に育てられた35歳以下の連中には本当に同情する
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