2006年05月12日
ケージフリーの鶏は幸せか

マーキュリーニュースのこの記事 (Google uses clout to free hens)を読んで、社員食堂企画でお世話になったグーグルのカフェテリアのニュースということで、とりあえず、ちゃぶだいのプチ地方版にニュースで紹介した。
だけど、この手の話ってどうもすっきり来ないんだよね。 同じ食用の鶏で、ケージに入れたら可哀相だけど、ケージフリーなら殺して食ってもオッケーっていう基準がどうもわからん。 羽を広げられないのは可哀相ってのはあくまで人間の主観的な問題でしょ。 ひょっとしたら、「じっとしているだけで、外敵、天候、餌の心配もなく毎日暮らせてラッキー」って思っているかもしれないし、そもそも自我のない鶏に、「不幸」とか「つらい」とかいう感情があるとも思えない。
元の記事にもあるけれど、ケージフリーにすると接触するほかの鶏の数が増える分、病気に感染して死ぬ確立も増えるそうだ。 弱い鶏が餌を十分に食べることが出来なくて死ぬこともあるだろう。
ケージフリーだろうが、ケージ詰め込みだろうが、卵が生産できなくなれば殺されて唐揚げになっちゃうのは同じだろうし、殺すときに麻酔を打って、安楽死させてやっているとも思えない。 そもそも、動物が捕食する相手に「可哀相」なんて感情を持ってたら生きていけない分けで、自分が手を下さない消費者である我々が、「ケンタッキーフライドチキンはおいしいけど、鶏舎のニワトリが窮屈なのは可哀相」ってのはおかしな話だ。
グーグルも、「ケージフリーのが美味いから」って言ってくれれば納得なんだけどね。
人間は物々交換を覚えたときから、自分で殺生をしなくても生きていけるようになったんだから、見なくていいものワザワザ見せ付けて中途半端な良心に訴えるようなことは止めて欲しい。 そりゃ、だれだって子牛の首を切って殺すところは見たくないけど、Vealは美味いじゃん。
投稿者 Owner : 2006年05月12日 17:03
トラックバック
このエントリーのトラックバックURL:
http://www.kosa-ca.com/cgi-bin/mt/mt-tb.cgi/733
コメント
昔はどこの家庭でも、日常の貴重な蛋白源として鶏を飼い、卵を得、非常時にはその鶏をツブシテ食べていました。我が家では、昭和40年前半、親戚中のオジ・オバが集まり、鶏鍋で焼酎を飲んでいるのを見たのを最後に、家畜はいなくなりましたが。
時代は違えど、どの家庭、どの国も同じだと思います。編集長の言うように、自分の手を汚すことなく、手軽においしいものを食べることができるようになった頃から、食欲のほかなにかの欲が出てきたのかもしれません。
ごく一部の国を除き、現在卵や牛乳を手にするのが困難な国はないでしょう。もしすべてケージフリーの昔にもどすことを理想に生きるとなると、少なくともアメリカや日本では生活できないと思われます。
それは家畜に限らず、マグロ、サーモンをはじめ、サバやイワシなど魚介類でも同じことです。もちろん野菜でも。
ケージフリー、天然もの、有機農法、プチ整形、言葉のマジックに踊らされないようにしたいものです。
○○愛護団体、そうですか、家畜の域にまで顔を出してきてますか。
投稿者 板前さん
コメントしてください



