みんなさ、「ポリシー」(英語本来の意味じゃなくて日本語会話で使われる時の意味ね。 自分の方向性みたいな)って立派なものって思っていませんか?
私はポリシーは多くの人にとって可能性の障害になっていると思います。 ポリシーを持つことが立派なことだと勘違いして、自分のポリシーを一度決めたら、それを死守しようとする人。 間違っていると思います。
何事についてもハッキリとした自分の意見、方針があることは立派です。 でも、相反するポリシーに出会ったとき、自分のポリシーを守るために無条件に反対意見を否定することは、新しいアイデアを取り入れる可能性を自ら拒絶しているのと同じことだと思います。
「おれさー、博愛主義だからー」「あたし、中絶反対だから」「ぼく、ブッシュ政権は認めていませんから」、はい、立派なご意見、主張です。
でもさ、自分のポリシーが揺るぎないものであるとアピールするために、反対意見に耳を貸すことを忘れていませんか? 自分のポリシーを曲げることは恥ずべきことだと思っていませんか? 実は聞いてみたら反対意見の中にも、納得できる部分があると思ったくせに、ポリシーを守るために認めることを我慢していませんか?
そういう意味では自分のポリシーを死守しようとすることは、逆に格好悪いと思います。 昨日まで威張って自論を振りまいていたくせに、今日は平気でその反対意見を支持できる。 そのフレキシビリティーこそ大事なのではないでしょうか。 振り上げた拳を止められなくなっている人が沢山いるように思います。 「いい」と思ったことを素直に認めるのはちっとも恥ずかしいことでは無いんです。 少なくとも聞く耳は広げておきましょう。
宗教を信仰している方、他の宗教の教えについて勉強したことがありますか? 自分の嫌い(と、決めた)作家の本を読んでみたことがありますか? Windows派の人、MacOSを素直な気持ちで使ってみようとしたことがありますか?
食わず嫌いになっていませんか?
ビジネス経営の中でも、有能な経営者であるはずの人が、逆に自分のやり方を通すために、内心良いとは知りながら、反対意見を取り入れることが出来ずに失敗しているケースが多いように思います。
私のポリシー? 「ポリシー無いのがポリシー」さ!